成功するまで続けるところに成功がある

特攻服通販の店長のコーソ(高祖)です。
こんにちは。

特攻服通販の店長となって、今は、保険の仕事と両方の店長をしておりますが、決して安泰ではありません。
子供を4人抱える身としては、もっとがんばらないとと常に感じております。

保険の仕事も、同期の研修生が全国で120人中、独立出来た人は、20人でしたが、そのあたりから、保険も自由化になり、今では、代理店の規模がある程度(相当)ないと、同じだけの仕事をしても収入が半減しているため、今も独立している人は、おそらく数人しかいないと思われるくらいです。
それでも、大逆転が起こる可能性があるかぎり、続けていこうと思います。

これまでも、中学受験、大学受験で、失敗しても高校受験、大学卒業、保険代理店独立と、実際に何度も奇跡を経験しているだけにコツコツと続けることの大切さは身にしみております。

営業も、又、こういうことでした。
一度失敗してあきらめれば、それは失敗に終わる。
気を取り直してまた取り組み、根気よく続けてゆく。
再び失敗しても、またやり直す。
成功するまでそれを続けたならば、結局、失敗はないことになる。成功あるのみである。

今後も、この精神で、仕事に取り組んでゆこうと思います。

12年ぶりの帰郷

特攻服通販の店長のコーソ(高祖)です。
おはようございます。

浪人時代から就職時代まで、12年もの間、東京にいましたが、大学時代だけ東京に出て、既に、実家に帰っていた長男の兄が、家を出て税理士資格の勉強をするということで、実家に帰ることにしました。

ところが、特攻服通販のコーソの仕事は空きがなく何の仕事をするべきか迷いました。
就職時代に営業の仕事は経験させて頂いても、まだ自己管理ができていない状態でしたので、自分で何かをする自信は全くありませんでした。

ちょうど、近所の保険会社で、代理店研修生の募集をしており、3年後には独立できるということでしたので、ここから再起を計ることにしました。
ただし、独立出来る人は、研修生の中の2割程度でしたので、倍率5倍といったところで、独立できるとは、思っていませんでした。

というのも、自己管理ができない上に、地元なのに、自分の人脈がなく、地理(道)すらわからないという状態でした。

競馬に例えて、独立できない一番人気は、断トツで、私でした。が、大学卒業に引き続き、奇跡が起きました。

独立後は、自己管理するしかない状況になり、やっと徐々にできるようになってきました。

時間がかかりました。

そんな時、当時の特攻服通販の店長が、急に倒れたのでした。

就職時代

特攻服通販の店長のコーソ(高祖)です。
おはようございます。

世の中をなめたまま、就職できたのには、理由がありました。
平社員は、自分の仕事は、自分で取ってくるという、ほとんど飛び込み営業の仕事で、ほとんどの平社員は、長くもたないような状況で、空きがあったからでした。

私も、東京には、コネも人脈もなく、断られ続ける毎日で、精神的にまいりました。
世の中はなめていましたが、仕事のやる気は人一倍あったので、自信はあったのですが仕事をしようにも、仕事がないのにはまいりました。
しかし、実は、これこそが、営業の仕事なのだと後から思えば、わかりました。

とにかく、ひつこいくらいに自分を売り込むことが出来るかどうかでした。

結果、さまざまな方から、仕事を頂きました。

まずは、母校となった大学の耐震工事から、関東展開の飲食チェーン店の内装仕上げ、全国展開の物販チェーン店の什器搬出入、全国展開の関東エリア内の金融チェーン店の内外装工事、一流デパートや一流ホテルの内装工事まで任せて頂きました。

この就職時代で、体得したものは、まずは、忍耐、そして仕事のできる喜びでした。

大学時代

特攻服通販の店長のコーソ(高祖)です。
おはようございます。

どうにかこうにか、大学に通うようになったのですが、生活リズムをしっかりとつかめないまま、まずは警備員の夜中のバイトをするようになりました。

この仕事は、じっと動かず立つということによる足のつらさを思い知らされました。
当然、朝寝坊も多くなり、出席日数も減ったので、半年ほどしかもちませんでした。

次に、カラオケのバイトをしました。
ここでは、長い間仕事をさせて頂き、夜型ですが、生活リズムの管理もしてもらえました。
スナック風のカラオケルームで、ほとんどが年配の大人のお客さんでしたので、色々と社会勉強にもなりました。

一人暮らしの学生ながら、車も持ち、ある意味ではすごい生活を送っていました。
ところが、学生が車を持つと、車で学校に行くようになり、駐車禁止が気になり、すぐに帰ってしまうという悪循環が起こってしまいました。
また、生活リズムも夜型なので、しょっちゅう寝坊をしてしまうこともあって、この生活は、3年生まででやめることにして、4年生は、大学卒業に集中して何とか、ストレートで卒業できました。
(大体、一割が留年していました。)

誰が留年するか、競馬に例えて、予想されており、最終の第三コーナー(3年生)までは、断トツの一番人気でしたが、最後の最後に、うっちゃりで、大逆転しました。が、ここでも、卒業するのが、やっとで、就職を考え始めたのは、その後でした。
ただ、その時は、バイトをしていた時に、たくさん仕事をして、たくさん収入があったので、自分は、何をやってもできるという、うぬぼれがあり、ぎりぎりになって、残っていたところに面接に行きました。

すると、そこは、建築内装の営業会社で、建築内装も営業もやったことはなかったのですが、その場で、すんなり決まりました。
どうして、すんなり決まったのかは、入社して、すぐにわかりました。
そのお話は、また明日の就職時代にします。

思えば、中学、高校と共通して失敗したところは詰めが甘かったし、(中学の勉強は、中2までに高校の勉強は、高2までに終わらせていたのに中3、高3と勉強ができませんでした。)
浪人、大学時代は、最初から、勉強をなめてしまいました。

結局、勉強は、失敗(油断)の連続でした。
仕事では、まず、就職活動をなめていました。
その結果が、就職時代です。

そういえば、私の趣味の高校野球のお話が全く出てきていませんが、こちらは、今回のテーマが終わってから、おいおいということでお願いします。

浪人時代

特攻服通販の店長のコーソ(高祖)です。
こんにちは。

現役高校生の時に、最初に受けたのが、慶応大学で、しかも、そこしか受けませんでした。
見事に落ちて、浪人時代を迎えました。
東京で、一人暮らしで、予備校に通い始めたのですが、自己管理が全くできず、一か月も経たないうちに、行かなくなりました。
それでは、何をしていたのか、自分でも思い出せません。

一浪目は、受験すら出来ませんでした。
二浪目は、予備校にそこそこ通うことは出来たのですが、あまり勉強は出来ませんでした。
レベルは、うんと落ちましたが、大学に合格出来ました。

実家にいた時には、普通に出来ていた生活リズムが一人暮らしになったとたんに出来なくなりました。
自己管理の難しさを思い知らされました。

これで、もう懲りただろうと思いきや、まだまだ、自己管理出来るようには、なっていませんでした。
そのお話は、また明日の大学時代に続きます。